他人の不幸を喜ぶ感情「シャーデンフロイデ」の根底に存在するのは「非人間化」だった


Point
・他者の不幸を喜ぶ「シャーデンフロイデ」は「競争・・攻撃」という3つの要素が相互作用することで生じる
・「シャーデンフロイデ」の根底には他者を人間として扱う態度を失う「非人間化」がある
サイコパスナルシストサディストなどの性格障を持つ人々は、「非人間化」を含む「シャーデンフロイデ」の傾向がある

「ざまあみろ」「他人の不幸は蜜の味」―。他者の不幸を喜ぶ感情は、もが多かれ少なかれ経験したことがあるのではないでしょうか?

この厄介な感情には、ドイツ語で「被害・損」を表す”Schaden”と「喜び」を表す”Freude”を合わせた、”Schadenfreude”(シャーデンフロイデ)という心理学がつけられています。エモリー大学心理学者シェンシェン・ワン氏が率いる研究チームが最近、シャーデンフロイデに関する総説論文を雑誌New Ideas in Psychologyに掲載しました。シャーデンフロイデの分析が、私たち人間のダークな側面に関する重要なヒントを与えてくれそうです。

ワン氏らは総説論文の中で、過去30年間に社会、発達、性格、臨床の観点から行われた研究から、シャーデンフロイデを系統的に説明する新しい組みを作ろうと試みました。そして、シャーデンフロイデが分離可で、かつ相互関係のある「競争・・攻撃」という3つの要素から構成され、その根底に「非人間化」という共通点があることを示しました。

シャーデンフロイデ研究の難点は、その定義が定まっていない点です。かつて、シャーデンフロイデを悪意あるものとして非難する心理学者もいれば、むしろ徳的でさえあるとした心理学者もいました。

ワン氏らは、「嫉妬理論」、「利点理論」、「集団間理論」という3つの理論を用いてシャーデンフロイデを分析しました。「嫉妬理論」は、自分が羨ましいと思う相手の鼻がへし折られた時に嫉妬心が和らぎ、結果として自己評価が上がることに着した理論です。「利点理論」は不幸が起きた人は過去の悪行に対する当然の報いを受けたのだと考える感情に焦点を当てます。「集団間理論」は、社会アイデンティティと、スポーツ大会や政治競争でライバル集団のメンバーが負けた時にそれを喜ぶ気持ちに付随するものです。ワン氏らは、シャーデンフロイデを構成するこれらの局面が、それぞれどう異なり、互いにどう作用するかを探ろうとしました。

発達調によると、私たちは、「子どもたちの健全な発達とはすなわち、良心が育ち社会と上手く関われるようになることだ」と安易に考えがちですが、実は「社会性」には本来ダークな側面が含まれています。たとえば、生後8ヶの幼児でも洗練された社会正の感覚を持ち、生後9ヶまでに集団間攻撃の兆しが観察されるようです。また、子どもは5〜6歳頃までに意地悪な競争心を持つようになり、何かを犠牲にしてでも他の子どもより自分の取り分を多くしようとしたりします。そして大人になるにつれ、多くの人々が単純な悪意で他者を犠牲にしようとする気持ちを隠す術を学びます。

ワン氏らは、より統合的な「動機理論」の立場を取り、自己評価、性、社会アイデンティティが相互に作用して人々をシャーデンフロイデへ向かわせると論じています。逆に、他者への共感を人間らしい感情として他者へ示す行為は、私たちをシャーデンフロイデから遠ざけるようです。

さらにワン氏らは、シャーデンフロイデの根底には「非人間化」、つまり他者を人間として扱う態度を失う現が存在すると解きます。他の民族集団に属する人が、自分たちと同じような感情を持たないだろうと考えることなども非人間化の一例です。戦争中の兵士が敵を容赦く攻撃するケースなどのように、状況次第で非人間化が生じることもありますが、サイコパスナルシストサディストなどの性格障を持つ人々の中には、性質的に非人間化の傾向を持ち、他者の立場に立って物事を考えることができない場合があります。

「シャーデンフロイデはも経験する感情ですが、それが私たちが同じ仲間である他者に対して味方にも敵にもなりうることを示す現なので、私たちはそれを考えないようにしたいのです。ですが、シャーデンフロイデは人間の深くに根付く関心事の存在を示してくれます」と、ロシャット氏はっています。

 

負の性格傾向に共通する「ダークコア」が明らかになる

 

via: sciencedaily, dailymail/ translated & text by まりえってぃ

 

他人の不幸を喜ぶ感情「シャーデンフロイデ」の根底に存在するのは「非人間化」だった


(出典 news.nicovideo.jp)


<このニュースへのネットの反応>

単に負け犬、負け組だからだよ。


バチ当たり系の不幸はざまぁw、って思うがそれ以外は普通はちょっと笑えんだろ


所謂メシウマ状態ね。その根底からは共感性羞恥と対になりうるか。


悪いことした奴の不幸を喜ぶのとはまた違う?


日本でいうメシウマ精神だな不幸な奴に対してざまあ、と吐き捨てることは自分の現状を肯定することにつながる


悪党はざまぁくらいしか思わないけど、覚悟して悪事に手を染めて*人は褒める気にはならんけど。なんというか尊敬ともちょっと違うけどすごいと思う。「ジャブローのオフィスは快適だよ」って言ってた人見てそう思う。


他人の不幸は蜜の味…というもの?でも大半の人は他人というより悪人の不幸は蜜の味と言った方が正しいかもしれない?


他人の不幸はどうでもいい


人でなし


昆虫の思考回路みたいだな。喜ぶというより飛び抜けた変化に疑問を持ち、平穏を望む。外部の変化も自分の変化と結びつけて恐怖し排除しようとする。リア充妬む気持ちもそうなのかな?


例えば主人公が不幸な目に遭い続けてラストに於いても救われない物語とかも、何故か需要があるでしょう。それを歪んでいるとかは思わないが、潜在的な加虐性と言う物は誰もが持っているのではないだろうか?嫌悪感とその心理のバランスなんではないかなぁ?


こういった心理学研究は大いに意義がある。ヒトという生物の行動原理がわかれば、より道徳的に望ましい社会構築のための手段に応用できるだろう。その願望自体が道徳的であるとは限らないけれど。


愉悦部の研究


悪意こそ人間の本質、はっきりわかんだね。


自己防衛的な本能だと思うけどなあ。自分の立ち位置が危うくなると攻撃する。下のやつを見れば自分の地位は守られてると思い安心する。社会的地位の高いやつは自分にとって危険と本能的に感じる。だから自分の所まで落ちるとホッとする。他人といかに比べてるか、幸福度にも関係してる。これがひどくなるとパラノイア。まずは他人が気になる人は自分の位置を確認したほうがいいかもねえ


個々のレベルで分断して一人一つの世界を持てるレベルまで技術進歩できれば、リアル対人における負は緩和されるかな?


貴方は口を挟まないでタンホイザー


嫉妬の感情で重要なのは、「自分の置かれた環境と比較してどうか」という点。自分より不幸だと思える相手が不幸な目に遭っても、特に嬉しいとは感じない。「自分より恵まれたと思える人間が不幸な目に遭った」というときこそ深い悦びを感じるのだ。


そこの者! 「ポチ」! 「タマちゃん」! 「シャーデンフロイデ」! ……手ごわいわね。


左様でございますね、お嬢様


そこの者に問う!お猿さんですか?


ネットでも他人の不幸を笑う奴は少数派だよ。自業自得の報いを受けたアホが笑われる事はよくあるが


悪人の不幸なら喜んでOKってのはわかりやすく正当化だよな。そもそも悪人の基準がその人の主観だし結局は俺の気に入らない奴が不幸になって嬉しいってことで


かっこいい…アーマードコアの機体名に使おう


人の不幸も、自業自得も全然喜べないけどな。自分の徳になるわけどころか、不徳にもなるし。周りの不徳にもね。人のことを「ざまあみろ」と思いたくて仕方ないのは、*なんじゃないですかね(直球)。あ、これ不徳だ(笑)まあいいが。ちなみに自分が「ざまあみろ」と思っている人間だとレッテル張られた場合はどうなの?まあ、何にしても低次元な話だね。で、君ら自身はどうするのさ。


こういう個々を扱って群体モデルにする研究は、もうめんどくさくて目を通さないことにしてる。特に社会に出ると、最初っから「これだけやればあなたや全体に対し、これだけ+になる」って公理成果主義が、結局一番実践も修正も、運用も楽だよ。個々の不満や不正や矯正なんて、正常化したシステムでも0にはできないだろうけどね


友人に恋人ができると自分が輪から外れた気になるとか、ズルして出世した奴は報いを受けなければ気が済まないとか、脳科学と心理学の発展に期待したい。期待した結果と違う結果に激しくエラーを起こす。とかだと面白いな


「悪い事した奴に起こった不幸な事は喜べる」っていうのは、要するに悪い事した奴=人間じゃない(非人間)っていう風に無意識で考えてるからなんだろうな自業自得とか当然の報いとかって言うが、どんなに自分に非があっても不幸なことがあって悲しまない奴はいないまあ、だからといってどんな他人の不幸でも喜ばない奴が正しくて皆が皆そういう奴になるべきかと言われると...


なんだろう。自分じゃなくて良かった、みたいな?隣の人がやられたらショックだけど、なぜか自分が助かったから逆にSANが回復するのかな


1 悪人が不幸になって喜ぶのは、報いとか社会的正義がかなったという倫理観・正義感から2 悪人でない者が不幸になって喜ぶのは、自分の現状を肯定するため


2については、段階があって 金持ちとか芸能人が不幸になる→自分より裕福だとか幸せに見えるものが没落することで自分はまだ幸福だと肯定する 金持ちでないが自分が反感を抱いているものが不幸になる→相手より自分のほうが正しく生きている、または優れていると肯定する


自分よりも劣っていたり弱いものが不幸になる→自分のほうが(不幸になってないので)社会的に優れていると肯定する


さんざ嫌がらせをされた客が悪評が広がりまくって左遷された、と聞いた時の酒は、最高に美味かったな。


あー 原爆で大勢亡くなったのに、大喜びしてるあれか(;´д`)


あー、やっぱファイアボール浮かぶ人いるよな。しかしシャーデンフロイデってそういうもんだったのか。


やはり性悪説こそが正しかったのだ…


色々考えたけど、喜ぶという表現自体がよく分からなくなった


艦これラスダンとか見に来る人はそれかなでも余りにもひどいと応援したくなるのよね


金持ちを妬む気持ちや周りが褒め称えることを拒否したくなる気持ちはどこから来るんだろ


サバイバル環境で他人が不幸になれば、相対的に自分が幸せになれるのだから、それが快感になるのは、至極まっとうではないか。




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