普通に読んでいればなんてことないお話。だけどひとたび気づくと、全く違う光景が見えてくる……「意味がわかると怖い話」を紹介する連載です。
●忌子の森
僕が住む町のはずれにある住宅地には、一辺100メートルほどにわたって、そこだけこんもりとケヤキの木が生い茂る小さな森が残されていて、「忌子さまの森」と呼ばれていた。「忌子」はそのままイミゴ、と読む。
小学校の授業で、被葬者不明の古墳なのだと教えられたが、古くから町に住む人たちには、そこは一種の聖域と扱われていた。昔、死んだ祖母から「あそこに入っちゃいかんよ」と、何度も言い聞かせられたものだ。
休校が長引く退屈の中で、「森に肝試しに行こう」と言い出したのは確かAだったはずだ。
B、C、そして僕。同じ中学でいつもつるんでいる男4人で集まることになった。
鬱蒼(うっそう)と茂る森は昼間でも薄暗く(夜に行かないあたりが僕たちの限界だ)、気温も周りより幾分、ひんやりして感じられた。
森のどこかに小さな祠(ほこら)があり、そこに向かって「忌子さま、遊びましょう」と呼びかけると返事がかえって来るらしい。Aはそんな、怪談とも言えないような話を嬉々として語った。
A「何か聞こえたら録音できるように、レコーダーも持ってきたんだ。とりあえず祠を目的地にしよう」
B「みんな、ここに来るのは初めてだよね」
C「祠があるなんて聞いたことないな。俺が知ってるのは『子どもだけで森に入ると悪いモノに魅入られる』って話で。森から出られなくなるとか」
B「ついてきちゃうとかね」
A「俺たちってまだ『子ども』ってカウントか?」
僕「少なくとも、うちのばあちゃんは許してくれなかったろうな」
小さな森だ。それらしきものは、すぐに見つかった。ひび割れ苔むした、石造りの小さな祠。その周りだけ、ぽっかりと草木が生えていなかった。
僕たちは祠を囲んで、口々に「忌子さま、遊びましょう」と声を上げた。
……もちろん、何も起こらない。互いに顔を見合わせ、Aはつまらなそうな、少しホッとしたような顔でICレコーダーを切った。
そのまま森を一周してみたが、みんな拍子抜けしたのか会話も盛り上がらないまま、30分ほどで元の入り口に戻ってきてしまった。
C「正直、来るまでけっこうビビってたんだけど、なんてことなかったな」
僕「でも実際、子どもの失踪事件はあったらしいよ。何十年も前だけど。木で目隠しになるから、小さい子を狙う変質者が出てもおかしくはないかも」
B「でも、楽しかったよ」
A「お前のばあちゃんが子どもだけで行くなって言ってたのも、その辺が真相かもな」
そのまま誰かの家でダベる流れかと思ったが、Cが腕時計を見て「帰らなきゃ」と言ったのを合図にするように、なんとなく解散になった。
Aが思いつめたような顔をして僕の家にやって来たのは、その翌日だった。
A「やっぱり録れてたんだよ、声」
彼は震える声でそう言うと、レコーダーを再生した。
耳を澄ませたが、僕には「忌子さま、遊びましょう」「遊びましょう」「遊びましょう」「遊びましょう」という自分たちの声、そしてざああっ、という風の音しか聞こえなかった。
僕「僕たちの声しか入ってないじゃないか」
A「ちゃんと聞けよ。……4人分なんだよ、声が」
要領を得ないAの言葉に困惑していると、それに苛立ったのか彼は声を荒げた。
A「あそこには俺たち3人しかいなかったのに、誰の声なんだよこれ!」
↓
↓
↓
●「忌子の森」解説
会話を読み返してみると、Bの台詞はなくてもA・C・「僕」の会話は成立しています。Aには(おそらくCにも)「B」は見えていなかった。友人の姿を借りたのか、あるいは「友人のひとりだと思い込まされていたのか」、とにかく「B」はこの世のモノではない――Cが語るところの忌子の森の「悪いモノ」であり、それが唯一見えている「僕」は、既に魅入られてしまっているのでしょう。
●いかに体験者を孤立させるか
「肝試しに行った先で怖い思いをする」話型で大切なのは、「いかに体験者をひとりぼっちにするか」です。「恐怖」とは「安全圏が脅かされることへの嫌悪」ですから、怪異に襲われた時の人数は少なければ少ないほど、防御力と言いますか主観的な「安全性」は損なわれるわけです。ホラー映画でも、中盤までの怪異に襲われるシーンは大抵、登場人物が一人でいる時ですよね。
今回は、「一緒にいたはずなのに、どんな体験をしたかの認識が違う」という書き方で、体験者の「孤立感」を高めてみました。これもベタな書き口ではありますが、「みんなでいる」という安心感を破り、怪異の超常性も強調できる良い手法だと思います。
ところでAくんも「僕」も気づいてないようですが、そもそも「100メートル四方しかない住宅街の中の森」を歩くのに30分もかかるわけないんですよね。腕時計を見たCくんは、もしかしたらその異常性に気づいていたかもしれません。
白樺香澄:ライター・編集者。在学中は推理小説研究会「ワセダミステリ・クラブ」に所属。クラブのことを恋人から「殺人集団」と呼ばれているが特に否定はしていない。怖がりだけど怖い話は好き。
(出典 news.nicovideo.jp)
<このニュースへのネットの反応>
これシリーズだったんだ。意味が分かると恐いではなく、余計な解説を入れて恐くなくするシリーズの間違いだな。
「4人で集まる事になった」から結果的にBがいない3人の集まりだったに変わっているが、ノックスの十戒では読者に提示していない手掛かりで解決してはいけないというのがミステリーの鉄則なのだが。
「祠いこうぜ」ってきめたとたんにBが沸いてきたってこと? 外にも平気で沸いてくる時点で万能すぎて作り話感しか感じないが
「意味がわかると怖い話」を語りたいのならもっとタイトルや場面設定を大事にしてくれ。こういうのは「意味がないと分かり後悔する話」というのだよ。
は?
このあとAから電話がかかってきて「ごめん、レコーダー森に落としてきちゃったみたいだ、取りに行くの付き合ってくれないか?」ってオチなら最高だった
「同じ中学でいつもつるんでいる男4人」が「男4人で集まることになった」のに「俺たち3人しかいなかった」っておかしいだろ
男4人で集まることになった、って表現は全員が4人で集まることを認識してる表現なので話の辻褄が合わなくなる。Bは実際に居て、肝試し以降僕しかBのことを認識出来なくなった、ならまだマシだったかな。
Bはシドニー・マンソンだった……?
「遊びましょう」「楽しかったよ」ってBめっちゃいい奴じゃん。
最初に人数を言う必要は無かったな。そして最後は「怖い!」じゃなくて、それとなく人数が少ない方が正しいとわかる会話がよかったか。例えば「じゃあまた同じメンツで行こうぜ。俺とお前と敦士で」「ああ。……え?」で終わるとかな
1つの創作話として内容がちぐはぐ。4人で集まることになった時点ではまだ森に入ってないのにBが森の「悪いモノ」でしたってのは話が成立しないでしょ。しかもその「悪いモノ」に魅入られたと解説されている「僕」は森から出れてるし。
こんな文章力でもお金が貰えるって怖いわって結論で良いですか?
序「4人で集まることになった」→ 結「俺たち3人しかいなかったんだぞ!」 意味が分からなくて逆に怖い(文章の破綻具合が)
そしてマンソン! ってもうあったわ…なんだよいつもの3人じゃねーじゃねーか…
ケヤキの森とか古墳とか祠に意味を持たせないと、結局失踪事件に絡めるなんて薄っぺらい印象。クロスチャンネル(エロゲ)の、森の中の祠だけが時間を刻んでいて、他の世界は時間が巻き戻るという話は面白かった。
これ「AがBを認識できなくなった」ってほうがまだ辻褄が合うな。ていうか、100×100m程度の木立を「森」とは言わんだろ。林だ林。
語り部が最初に4人って言っちゃっているから、最後が綺麗に落ちないんだよな。物証としてレコーダーに声も入っているから、↑の人が言うようにA君の認識がおかしくなったって方がまだ自然。怪談としては構成が悪い。
叙述トリックが書けないなら、「4人で森に入ったのにまるで3人で入ったかのような錯覚を覚えた。レコーダーに録られた4人の声を聞いて怪異を感じた僕は、既に忌子さんに魅入られてしまっているのでしょう」と解説するがよい!
毎度毎度コメ欄で添削されてて草
「いつもつるんでる4人」にB含んじゃってるからその叙述トリックは成立してねーんですよ…
解説の解釈を通すなら憑かれちゃってBがいつもつるんでるメンバーと錯覚させられちゃったんでしょ(適当)
"意味がわかると怖い話:「忌子の森」 "へのコメントを書く